2018.08.17 2021.04.13 三経塚キリシタン遺跡 歴史・文化 Line この記事のタイトルとURLをコピーする 江戸時代にキリスト教が禁制であった頃、東和町米川綱木地区では多くのキリシタンが鉱山に従事しており、製鉄業の発展とともにキリスト教が人々に浸透していきました。 厳しい弾圧にも屈せずキリストの教えを守り通した人々120名が処刑され、三カ所に埋められたと伝わっています。 現在は海無沢の一カ所だけが原形をとどめており、切捨場霊場と遺体が葬られた塚があります。毎年6月には敬けんなミサが執り行われ、塚のふもとでは「キリシタンの里まつり」が行われています。 この記事の情報リンクMapHP 大籠キリシタン殉教公園 前の記事 津山食堂 次の記事