江戸時代にキリスト教が禁制であった頃、東和町米川綱木地区では多くのキリシタンが鉱山に従事しており、製鉄業の発展とともにキリスト教が人々に浸透していきました。
厳しい弾圧にも屈せずキリストの教えを守り通した人々120名が処刑され、三カ所に埋められたと伝わっています。
現在は海無沢の一カ所だけが原形をとどめており、切捨場霊場と遺体が葬られた塚があります。毎年6月には敬けんなミサが執り行われ、塚のふもとでは「キリシタンの里まつり」が行われています。
江戸時代にキリスト教が禁制であった頃、東和町米川綱木地区では多くのキリシタンが鉱山に従事しており、製鉄業の発展とともにキリスト教が人々に浸透していきました。
厳しい弾圧にも屈せずキリストの教えを守り通した人々120名が処刑され、三カ所に埋められたと伝わっています。
現在は海無沢の一カ所だけが原形をとどめており、切捨場霊場と遺体が葬られた塚があります。毎年6月には敬けんなミサが執り行われ、塚のふもとでは「キリシタンの里まつり」が行われています。